もうこのままでは生きていけない

37歳。女。主人は20歳年上。東洋の占い勉強中。

私は音楽家を尊敬している

今日のクラシック音楽館。

 

セイジオザワフェスティバル。

車椅子の小澤征爾さんが何度も映る。

 

リハーサル時、リモートでオーケストラと顔を合わせる小澤さん。

言葉は無い。最近のことは詳しく存じ上げないけれど、たぶんご病気された関係で、お話が難しいのだろうか。

隣には娘さん。

小澤さんの代弁者として、テンション高く、お話になる。

小澤さんは、体が思うようにならなくなった人独特の表情をしている。

きっと彼の内部に渦巻いているであろう、

感情や言葉は、身体的に表現される出口を失ってしまっている。

出口を失って何年になるのだろう?

その感情は、私たちでも見える世界から遠くに隔たってしまっている。

映像越しでも、その目から、その奥に何かが生きていることは伝わってくる。

何か大きいものが生きているのに、

それを直接表すことができない。

私たちはそれに直接触れることができない。

言葉以上の何かを、表すことをやってきた人が、言葉も発することができない。

 

本番後のカーテンコール、車椅子の小澤さんが、スタッフの方に押されて舞台上に出てくる。

万雷の拍手。

小さな男の子も一緒に出てくる。

この子はどなたなんだろう?

きっと小澤さんの血縁の、大事な男の子なんだろうけれど、なんでこの子が一緒に出てきて、

舞台に、人生をかけて音楽をやっている人たちが演奏した舞台に出てきて、一緒に拍手を受けるんだろう?

小澤さんの表情。

拍手の響きは小澤さんへの敬愛の響き。

もちろん素晴らしいだろう、もちろん嬉しいだろう。

でも敬愛だけの拍手を受けたいのだろうか。

自分の音楽をして、そのパフォーマンスに、

称賛の拍手を受け続けてきた人が?

 

これは私の一面的な見方。

身内に音楽家もいないし、

車椅子になった人間もいない。

世界的に何か成し遂げた人間もいない。

何も知らない人間の、

ある日曜日のただの感想。

 

二階席を見上げた男の子の表情。

この体験が男の子の人生にとって、何かの意味を持つのかもしれない。

 

今日のごはん

春菊と豚こまの炒めあえ、あんかけ焼きそば(キャベツ、もやし、豚こま)