もうこのままでは生きていけない

37歳。女。主人は20歳年上。東洋の占い勉強中。

性の多様性についての配慮が欠けております悪しからず

スマホのメモを見たら、

「天才の無限掛け合わせ」って書いてあったんやけど、

なんでしょうか?

 

天才が進化し続けると、倍々ゲームで凡人の域からどんどん離れていくってことかな?

ことかな?って言われても。

いったい何を感じていたんだ。

 

倍々といえば、小学校低学年の時、

ニュースで「売買春」という言葉を聞くたびに混乱してたな。

ばいばいしゅん?

どうも逮捕されてるから、ばいばいしゅんは悪いことらしいけども、

ばいとばいは違うものなの?じゃあどうして一つの罪なの?

あとトラックの「ISUZU」の文字を見た時も混乱してた。

す、ず?ず?す?

どうも繰り返しに弱かったみたい。

 

それがどうして、こんなにも自分の中で何でも繰り返す人間になったものか。

 

頭が暇な時、定番の話題をインタビューされてみるという癖があります。

インタビュアーは密着系のTVディレクターとか、雑誌の記者とか。

時には地元のちびっ子インタビュアーも。ケーブルテレビかしらね。

 

煮詰まりすぎて逆にとんちんかんなこと聞いてほしい時は、

ちびっ子を召喚するといいですよ。

「人生やりなおせるなら、なんさいからにしますか」

「やり直しません!」

「どうしてですか」

「疲れるからです」

 

先日は同年代の女性同士で語り合うという鼎談企画で。

グータンヌーボみたいなソファに座りまして。

シャンパン飲みながら、謎の距離感で(遠くない?)

私の左右に座っているのはワンレンロングのモデルみたいな人たち。

お題は「男女の友情成立するのか」。

古!いにしへか!!

この番組高校くらいからやってるから、お題も古くなるわけね。

ていうか何堂々とセンターに座ってんだ私は。

 

やっと新説が出たんですけど、

友情は固定されたもの、完成されたらその後も保存されるもの、ではなくて、

その瞬間瞬間の状態とみればよいのでは?

 

瞬間的には友情としかいいようのないものが通い合ってますよね?

それが、往々にして愛情に変わったりしますが。

でも同性同士の友情でも、友情レベルから知り合いレベルに低下したり、

憎しみにチェンジしたりしますよね?

もちろん愛情に変わることもあるでしょうし。

 

友情は常に動いていくんだけど、

男女の愛情に変わると、やることが違ってくるから、

変わったことが本人たちにも周囲に分かりやすいから、

「男女の友情はない!」ってなるんじゃない?

 

友情の気持ちが、ひっそり知り合いレベルに低下しても、

前ほど仲良くないね、くらいのもんじゃない?

「根本的に友情は成立してない!」

ってならないよね?

でも男女の愛情に変わると、

付き合ったりあんなことしたりそんなことしたりするもんだから、

「もともと友情なんて無かった!」

みたいに断じられるのでは?

 

「成立する」派の人は現在を見て、

「成立しない」派の人は変わるかもしれない未来を見て。

違うものを見て同じものを見ているかのように議論しているのでは?

 

あっ。違うか。

異性と見ると、全員恋愛対象というか、

ウェイティングリストにぶち込む人もいるのかな?

そらその人とは友情は成立せんわな。

 

あーあ。長々と喋っといて。

私の番組では新説やったんやけど、既出でしょうかね?